10月14日は「鉄道の日」だ。今からちょうど150年前の1872(明治5)年10月14日、新橋・横浜間(約29㎞)に日本で最初の鉄道が開業した。第1号の蒸気機関車は、明治天皇や政府関係者、各国公使らを乗せ両駅を往復した。西洋からやって来た当時の科学技術の粋を極めた乗り物は、その後わが国の文化や思想、産業や人々の暮らしに大きな影響を与えた。何よりも、鉄道は明治日本にとって「文明開化」の象徴だった。
今年は「鉄道開業150年」の節目の年ということもあり、新聞や雑誌、テレビで各種特集が組まれ、JRや私鉄各社がさまざまなイベントを繰り広げている。思えば、私が生まれた1964(昭和39)年は、(前の)東京オリンピック開幕に合わせ日本で初めて新幹線(東京・新大阪間)が開業した。鉄道網も全国各地に広がり人々の利便性は向上したが、一方で赤字ローカル線が次々に廃線となり、駅の無人化も加速していくなど、鉄道の歴史には光と影が交錯している。
かつて勤めていた学校の先生で、学生時代、国鉄(現在のJR各社)全線に乗車したという強者(つわもの)がおられた。今で言う「乗り鉄」と称される部類だが、さすがにこれには脱帽である。私が自慢できるとしたら、日本最北端の稚内駅(JR宗谷本線)、日本最南端の西大山駅(JR指宿枕崎線)に降り立ったことがあるという程度だ。ちなみに、日本最高所にある野辺山駅(JR小海線)にも降りた記憶があるような。
国鉄で思い出したのが、山口百恵のヒット曲『いい日旅立ち』(詞・曲:谷村新司)だ。今となっては「昭和の名曲」だが、当時(1978年)国鉄が「DISCOVER JAPAN」と銘打った一大旅行キャンペーンを行い、テレビCMでもさかんにこの曲が流れていた。「あゝ 日本のどこかに 私を待っている人がいる」。令和の今聴いても心に染みるフレーズだ。